history
History
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NHK班長$Dさんから 「二週間以内に300×300に収まり、得点できるマシンを作れ」と厳命される が実はこの時期は学祭と重なっており、実質10日という罠があった。 |
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なんとか、動く一号機、完成。この当時はボール二つ搭載このあと、有効性が認められ正式に戦力に数えられる。この時期にogawaロボの傘担当であった高見沢氏をヘッドハンティングする。そして同氏が機械担当者となる。がビデオ審査の時にはドライバ回路の不調により、急に動かなくなる。。。NHK班長より「詰めが甘いのがまだ分からないのか!!!」といわれる(ぉぃ |
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三が日も回路つくる。。結局このときの回路を最後まで使う。凝りに凝った回路(ヒューズ搭載)ここで高見沢氏と相談して、大容量化(4個搭載)、高速化(モータ変更>>一個 500円から700円に)、多機構化(排除機構、、結局不採用)についてはなす。現在の形に。 |
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事前の撮影時にドライバに煙が吹く、ショートしまくる。が泣きそうになりながら直し問題なく撮影。これ以降トラブルはなくなる。コネクタの形状を変えたりと些細な変更。四日前に左右両方のプログラム完成。試走20回以上させる。 |
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チェックシートもつくり万全な体勢に、、テストランでは完璧(5点獲得)本番では当然ながら、相手機の妨害にあい一試合目 1点二試合目も同じようなもので 1点(ほんとは、ちょっとパラメータを変更すればも う2点はいけたかなと。。)でした。 F留さん曰く一年生が一点取るのは無理といっていたので一矢は報いたかなと。。 |