history(NHK2002)
- ABUロボコンとは?
- 製作メンバー
- ロボット紹介
- 手動機(青木ロボ)
- 菊田λ
- 傘マシン
- 杉谷ランチャー
- ランチャーができるまで・・・
- 打ち出しの様子
- ランチャーの外観
- メカ見沢君
- 国内予選レポート
- NHK公式ホームページ
- History
History
かわさきロボット班の活動がメインとなる為、ABUロボコン班休業。 | |
菊田λの加速度が不明だった為にとりあえず必要と思われるものから作り始める | |
現在の基本的な機構を作る。 | |
本格的に製作開始。サイドアームにこだわっていた為に大変苦労する。アームを下ろすというより、2体に分れるといった感じ。いろいろ無駄なことに悩んでいた時期でした。 | |
回路・プログラミング作業を驚異的スピードでMYO氏が完了。事前審査まで、連日連夜、徹夜で菊田λとの連携を練習、デバック。事前審査(ビデオ審査)を迎えるが、結果は転倒。一度も成功できなく終る。12/22 大学ロボコン参加OKメールが会長より届く。 |
|
帰省。その後モチベーションを失いかけるが、軽量化が急務となる。 | |
軽量化が初めの16キロから8キロ弱と目標達成。菊田λの事前審査以来からの作り直しがNHKの取材1週間前ぐらいに終る。あまりの加速度に、もともと重心が高めの傘マシンは転倒。どこを押すのかでいろいろ議論、実験しました。そんな中、初めての体育館練習=取材時は2度失敗するが3度目は成功。一寸の光が見えました。 | |
またまた連日連夜のデバック。昨日上手くいったのに、また翌日おかしくなり、また解決して帰宅、という日々を繰り返す。結局セッティング命、という結論に達する。大会1週間前、ほとんど直進性が安定しだし、本大会、菊田λとの連携は順調で一度も失敗せず。自走モードを使う機会がありませんでした。結局は人間のミスって怖いな・・・。と肌で実感。あと、会場では声って届かないんだなーというのも実感。 |